~JAPANESE SMILE~
きっかけは、とある医師の一言だった。
猛毒の後遺症で痣を発症してしまった少年、西宮碧は全身包帯で覆われていた。
彼を見て心を痛める者も少なくは無かったが、
本人は自分の意思で毒を呑んだ為、後悔はなかった。
そんな中、以前から交流のあった医師である病宮魅闇から碧は軟膏をもらった。
少しでも治るようにとの心配りだったのだが、
病宮自身が生きているとは言いづらい人種であった為不信感を募らせながらも、
これ以上状況が悪化することはないだろうと腹を括り、少年は薬を塗布しはじめた。
効果は、覿面だった。
軟膏を塗った手先が、翌日には本来の皮膚を取り戻してゆく。
効きすぎて怖いという気持ちもあったが、とりあえず回復状況を病宮に報告しに行った。
「ふむ、そレは何よりテす……足りなくなったら、まタ次の薬出しますから気軽に仰ってクださいね。」
病宮は満足そうに頷くと、懐からワイン色の液体が入った瓶を取り出す。
「一応、内服薬も持ってきましたケど如何テす?ただ……」
そう病宮が言いかけたところで、碧の隣に居た少女が相手から瓶をしゃくり取った。
「ヤミーさんこういう便利なものがあるんなら先に言ってくださいよっ!
碧の大事な顔がキズモノになったんです、早く治さないとっ!!」
「ナコちゃん、まだ病宮さんの話は終わってないよ……。」
ナコと呼ばれた快活な少女は、碧の前に奪った瓶を突きつける。
飲め、という無言の命令だろう。少年は深く息を吐いた。
「……まぁ効き目はたしかだし、一応もらっておきますけどね……。」
ナコが乗り気な時に、何を拒絶しても無駄であることは経験を通して知っている。
軟膏の効用は確かだと、碧は軽い気持ちで中の液体を一気に飲み干した。
病宮は顔を強張らせたが、飲んでしまった以上何も言えなかった。
しばらくして、焼けるような熱さと痛みが碧の脳を襲った。
心臓の鼓動がどんどん早くなっていく。体中の血が沸騰するようだ。
「……病宮さん、アナタこの薬に何仕込んだんですか……。」
「な、何も仕込んテいませんよ!性別が逆になる副作用がアるだけです!!」
狼狽する白衣の男を横目で見ながら、少年は地面に跪き悶絶する。
「その地雷まっさかさまな副作用は何なんですか?!どういう作りしたらそうなるんですか!?」
「こちラはちゃんと説明しヨうとしましタよ?!そっちが聞かナいタけで!!」
言い合っている間にも、碧の体はどんどん変化してゆく。
肩が、胸が、腕が、腰が、太腿が……女性のそれとなっていくのを抑えることは出来なかった。
そして数分後――碧は立派な『女の子』になっていた。
「ちょっ!!碧、何よソレっ!?っていうか、碧よね?違うの?!」
今まで呆然と事の成り行きを見ていたナコは、流石に戸惑いを隠せなかった。
自分が勧めた事は棚に置いて、病宮に抗議する。
「どうするんですかコレ?!病宮さん早く治してっ!!
碧が女の子になったら意味がないじゃない!!」
あまりといえばあまりの言葉だが、碧としても今の状況は本意ではない。
何かしら解決法を聞こうとしていた矢先、ナコは碧にも一言言い渡した。
「女の碧には用はないわ。元に戻るまで帰ってこないで頂戴。」
少女の言葉に慣れた少年も、この時ばかりはざっくりと胸を抉られた。
★★★
碧は当てもないまま、丈の余るズボンを引きずりながら繁華街界隈を彷徨っていた。
控え目な胸が包帯に締め付けられて痛むが、心理的にはそれ以上のダメージだった。
とりあえずこの体を元に戻さなければ。
自分としても女のままであるのは不本意だし、何より躰の性と心の性が一致しないのはとても苦しい。
医者は病宮以外にもいるはずだ、事情を話せばもしかして――
そこまで考えたところで、奇妙な烏帽子を被った初老の男に声をかけられた。
「姉ちゃん、変わった格好してまんなぁ。暇やったらうちらの興業手伝ってんか?」
男の浮かべる下種な笑いが気に食わなかった。
碧は歩みを止めないまま、ぶっきらぼうに答える。
「僕は暇ではありませんよ、そっちの事情なんざ知ったことではありません。」
「冷たいなぁ、こっちも親切心で言うてんのに。
姉ちゃんのその怪我、治すのにも銭かかるやろ?タダとは言わへんで。」
そういえば治療費の事を失念していた。
ナコや碧の稼いだ金額は全て碧が管理していたが、今は手元にない。
少女が足を止めたのを見て、男はねちっこく笑った。
「……いくらくらい貰えるんです?僕こんな体なんで出来る事が少ないんですけど。」
「大丈夫大丈夫、ちゃんと姉ちゃんでも出来る。悪いようにはせぇへんで。」
この怪しい男を信用したわけではないが、背に腹は代えられないだろう。
半分自暴自棄になりながら、碧は男の後をついていった。
★★
その頃、ナコは一人で碧の帰りを待っていた。
女性化した碧を見て思わず追い出してしまったが、
碧とて望んでこの姿になったわけではないことは自分でも分かっている。
だから帰ってきたら謝ろうと思っていたのに、こういう時に限って戻ってこない。
自分の軽率さに、ナコは唇を噛みしめた。
碧と別れてから、もう数時間経つ。
病宮をこってりと絞りあげた時間を差し引いても、随分待った。
何も持っていないのに、一体どこへ行ったというのか。
なによりも碧は戦うことができないので、何かに襲われたりゴロツキに絡まれたりしても守る術がない。
ふいに少女は立ち上がった。そして、そのまま碧の消えた繁華街の方へと足を向ける。
生来ナコは黙って待ち続けるなど出来ない性分だった。
繁華街の一角が妙にざわついていた。人だかりも多い。
碧を探さなければならないが、不思議に思ったナコは人垣に近づいて行った。
「なぁ、今この島で阿国歌舞伎やってんだってよ!」
「阿国歌舞伎?なんだそれ。島に来た冒険者がまた何かやってんのか?」
「こっちのは冒険者じゃないらしい。綺麗な着物着た舞妓や白拍子が踊るって言ってたぜ。」
――なんだ、冒険者じゃないのか。
ナコはそのままこの場を立ち去ろうと思ったが、耳に飛び込んできた言葉に動きを止めた。
「見てみろよ、新入りの白拍子の女の子。綺麗だなぁ、上玉だぜ。」
「顔に包帯巻いてるっていうのも変わってていいよな。神秘的っつーか。なんか萌える。」
顔に包帯巻いて人前で踊るなんて、普通では考えられない。
そう、『巻かざるを得なかった』状況でない限り――
ナコは急いで人ゴミを掻き分けて舞台を見ようと前に出る。
押してくる男達に肘鉄を喰らわせて夢中で進んだ。そして、舞台を一望できる視界を確保した。
眼に飛び込んできたのは、ぎこちなく踊る清楚な白拍子の姿だった。
壮麗だった。
顔に巻かれた包帯は、幻想的な雰囲気を作りこそすれ白拍子の魅力を損ねるものではなかった。
そして、注目を浴びる白拍子が何者であるか、ナコはすぐに気が付いた。
「何やっているのよ碧!さっさと戻ってきなさいっ!!」
澄んだ少女の声が、舞台一面に響く。白拍子の動きが、止まった。
「アンタね、躰を元に戻すんじゃなかったの?!これじゃあいつか助平親爺に売られるわよ!!」
名指しされた白拍子は勿論、回りで踊っていた舞妓たちにも動揺が走る。
この傍若無人な乱入者に、一早く反応したのは舞台運営側だった。
碧をスカウトした烏帽子の爺が、周りの人間に怒号を飛ばす。
「なんやあの小娘は!早う摘み出せ!!」
「ま……待て!彼女に手を出すなっ!!」
ナコを守ろうと舞台を飛び降りた時、碧はまた心臓の鼓動が強く跳ねたのを感じた。
直後激しい頭痛と脳が焼けるような衝動に、その場にしゃがみこむ。
「ちょっ……碧、大丈夫?!どこ打ったのよ!?」
駆け寄ってきた屈強な男達に回し蹴りをかましつつ、ナコが叫ぶ。
碧はナコの言葉に答えずその場で呻いていたが、躰は確実に変化していった。
そして――幻惑的な白拍子は、正真正銘『男』に変わっていた。
★★★
結局その後二人して歌舞伎座から追い出され、テントに帰ることにした。
帰路を二人並んで歩く。目の前に広がる夕焼けの紅さが、とても印象的だった。
「何だかんだ言っても、探してくれたんだね。」
ぽつりと碧が、一言呟いた。
「当たり前でしょ。
女のアンタには用はないけど、男に戻れば需要が出てくんのよ。」
「……そっか。」
無造作に答えたナコの言葉に、碧はぎこちなく微笑んだ。
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今回日記にて病宮 魅闇(168)様をお借りしました。ありがとうございます!
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