――お前に帰るべき場所はない――
最初にそう言われた時に、心が割れる音がした。
十年もの月日を
絆で埋められると考えていた自分が浅はかだったのかもしれない。
母様の身代わりになり損ねた十年前のあの日、
私の名は母なる地から永久に消し去られてしまっていた。
空白の日々が無駄だった訳では決してない。
或る女神に拾われた私は、
神々の使徒として力を授けられ大地の復興に尽力した。
奇跡を生み出すその力は、
今まで私が持っていたものとは真逆に位置するものだった。
恵みに満ちた世界だった。私の産まれた地とは、比べ物にならない程。
そんな平和を甘受していた日々を捨てようと決心したのは、
双子の姉――私の、血を分け魂を同じくした片割れの窮地を知ったからだ。
このままだと彼女は死んでしまう。
皆に望まれ、平和を導くには不可欠な存在なのに。
迷いは無かった。この命で未来が買えるなら安いものだ。
だがそこで問題が生じた。
私はもはや下界の住人ではなく、住人ではない私に居場所はなかった。
だから私は契約を結んだ。
一度だけ元の世界に帰す見返りに、
死後は魂のみが住まう全く別の世界で、死神となる契約を――。
◆◆◆
「お前に選択肢はない。
この世界には天使か死神に転生できるんだそうだが、
天使となる事は許されない――まぁ、お前自身も分かっていると思うが。」
片目の『天使』は、口を歪ませそう吐き捨てた。
「貴方だってこの世界では異邦人でしょう?
あっちで神の僕だからと言って、それが絶対的な正義だとは限らない。
……特に私達の産まれた世界、ネバーランドでは。」
私は静かにそう言った。目の前の男が喉の奥で笑う。
「――まぁそれを否定する気は失せた。今はな。
誰かさんのお陰で、見るに堪えないものまで見えるようになってしまったし。」
「文字通り眼を開いてあげたんだから文句を言われる筋合いはないんだけど。
貴方達アース神族はもっと世界をよく見るべきよ。
そうは思わない?――ルクルーゼ。」
そう呼ばれた男は、気だるそうに前髪をかけあげた。
そこには確かに、片方だけ光る瞳が宿っている。
ルクルーゼは、私達の世界を支配している神アースの僕の一人だ。
そして――母様を殺した張本人でもある。
異界の神と契約を結んだという理由だけで、母様は殺された。
自身も盲目であるという話だが、実に排他的な神――それがアースだ。
だから、初めてルクルーゼに会って絶望的な言葉を浴びせられた時、
私はその独善的な理由を聞いてふつふつと怒りが沸いた。
神も盲目なら僕も盲目、何も見ないで下した『裁き』で母様が殺されたのが許せなかった。
それで開いてやったのである、かつて女神に与えられた奇跡の力で。
片目だけにしたのは、見えるものと見えないものをちゃんと認識してもらうため。
本人にはさんざん詰られたが、後悔はしていない。
「……それにしても、酷い格好だな。衣装は仮装じゃないだろう?
片羽にしたのは確かに俺だが、そんな派手な服、よく用意したもんだ。」
「私が着るものに文句を言われる筋合いはないわ。」
ぶっきらぼうにそう答えた。
奇跡を産む力は死神として契約する時に封じられてしまったけれど、
これくらいの衣装を用意するくらいは出来る。
確かに少し目立つかもしれないが、死神らしく見えるように私も気を使ったのである。
「まぁせいぜい上手くやれよ、俺は高見の見物をさせてもらう。」
それだけを言い捨てると、ルクルーゼは空の彼方に消えていった。
高見の見物ということは、私を監視する任務もあるのだろう。
「……さて、これからどうしようかな。」
未知の世界の空の下で、私は軽く溜息をついた。
◆◆
――中央街リオ・ウィル。
お世辞にも治安の良さそうな街とは思えなかった。
特にこういった、裏路地では。
今、私の目の前には貧相な男が立ちふさがっている。
俗に言うちんぴらというやつだ。
私を格好のカモだと思ったのだろう、治安の悪い街ではよくある話である。
「置いてけー。 置いてけー。」
……言う言葉にもボキャブラリーが足りない。
私は黙って杖を構えた。
お世話になった世界で作った最後の作品だったが、
死神の象徴とか言われて、反対の先端を鎌にされてしまった。
だが実用には問題ないだろう。
私は順調に魔弾を準備する。
向こうの射程外に移動しながらなので多少安定性には欠けるが、
私の実力をもってすればこんなの問題のうちにははいらない筈。
その時、ふいにちんぴらの影が視界を塞いだ。
慌てて零距離で魔弾を撃とうとするも、全くと言っていい程体に力が入らない。
――そんな馬鹿な!?
動揺している内に、何発か酒瓶が打ち下ろされた。
勢いあまって瓶が割れ、鋭い先が私の腕を裂く。
上機嫌にしているちんぴらぶぜいが忌々しい。
私は奥歯を噛みしめて魔砲を撃とうとするが、またもや魔力が霧散してゆく。
「ふざけんじゃない……。」
タールのような黒い血を流しながら、私は呟いた。
これでも私は純魔族の娘、こんな所で負けるわけにはいかない。
私は少女時代の特訓を思い出していた。
当時2歳でまだ何も分からなかったが、集中の基礎からみっちり扱かれた。
その時の記憶を、慎重に手繰る。
勢いづいたちんぴらが、私にとどめを刺そうと覆いかぶさる。
「残念ながら、あなたにあげるものは何もないの。」
魔法の基礎を忠実に再現した私は、今度こそちんぴらを闇に葬っていた。
そして、その時私はふいに声をかけられた。
To be continued...