~Erste Liebe 第弐話 『現の灯』~
夜の帳が景色を闇色に染め、左手に持つランタンの灯だけがほのかに周りを照らしていた。
僕は不自由な視界に苦労しながらも、やっと見える獣道を歩く。
力のない僕が普段こんな時間に出歩く事はないのだが、今日だけは特別だ。
そう、今夜だけは絶対にあの人と会わねばならない。
昨夜、僕の所に訪れたのはカスケードという僕の前世の魂だった。
その魂から持ちかけられたのは、ある人の心を殺してやろうかという誘い。
僕は焦った――その人は僕にとっても大切な人だし、何より――
彼女にとって、なくてはならない人だから。
僕は彼女を愛してる、だから彼女を傷つけたくはなかった。
僕のこの歪んだ想いのために、彼を殺したくはなかった。
だから僕は、彼と彼女を守るために自分が考え得る一番卑劣な手段に出ることにした。
嫌われてもいい、軽蔑されても構わない。
大きなものを失っても守らなければならないものが、今の僕にはある。
アイツに手を下させるわけにはいかない――だから僕は、自ら執行人を申し出た。
たった一つのものを守るため、僕はこの道を進み続ける。
ほどなくして、テントの灯りが見えはじめた。野営だろう。
僕の記憶が正しければ、あの人がここに居るはずだ。
もう少し近づくと、あの人が焚き火の横で飲み物を啜っているのが見えた。
どうやら一人のようだ。話をするなら今が一番良いだろう。
僕はなるだけ平静を装い、『彼』に話しかけた。
★★★
「レンジィさん、折り入ってお話があるんですが、いいでしょうか?」
思わず顔が強張る。
ポーカーフェイスというものは、肝心な時に出来ないものらしい。
「碧君か?何故ここに……まぁいいか。良かったら座りなよ。何か飲み物を持ってくるから。」
そう言ってレンジィさんはポットらしきものからカップへ飲み物を注ぎ始めた。
旨くないかもしれないが、と前置きしてそれを僕に手渡す。
「で、えーと……話?
……何か込み入ってそうだな。いいよ、聞こう。どうしたんだい?」
固くなっている僕の表情を鑑みてか、レンジィさんも顔を引き締める。
薬で10歳年配になっているせいか、大きな威厳が感じられた。
「……レンジィさん。僕から話っていうのは、ナコちゃんの事です。
彼女の気持ちは……薄々感ずいていらっしゃると思います。
だから、今後はレンジィさんさえ良ければ彼女のこと、支えてあげて欲しいんです。」
僕は用意していた言葉を一気に吐き出した。
ここで真意を悟られるわけにはいかない、全てを偽ると決めてここまで来たのだから。
「僕には、ホラ――」
渡されたカップを地に置いて、僕は顔に巻いている包帯を解き始める。
焚き火がほのかに射す灯りの中に、今まで隠されていた赤茶色の痣が露わになった。
「この傷がある。
いくら彼女の心が他の人のものになろうとも、僕が守ったのだという誇りがある。
それだけで、いいんですよ――。」
僕は心にもない偽りをすらすらと並びたてる。
僕の醜い傷を見て臆しないものはいないだろう。
この傷を見てもなお、僕からナコちゃんを取ろうとは思わない筈だ。
少なくとも僕の知るレンジィさんには、そんな事は出来ない。
「だから僕の事は気にせず、彼女の事、受け止めてあげてください。
勿論、レンジィさんが良かったら、ですが。」
そう言って僕は頭を下げた。誰にも見えないその表情は、笑っているのかもしれない。
そもそもレンジィさんにナコちゃんの想いを受け取る気が今はないことは分かっていた。
だから、今後一切ナコちゃんへの恋慕が芽生える可能性を摘み取るために僕はこの醜態を曝したのだ。
軽蔑すればいい、同情すればいい。
そうして僕達に見切りをつければ、レンジィさんは今後一切僕達を恋愛対象としては見ないだろう。
最初は心配そうに聞いていたレンジィさんの表情が次第に曇ってゆく。
暫く黙っていたが、やがて彼は息をついて、口を開いた。
「話は分かった。俺もこの歳だし、一応何度か恋愛は経験してる。
だからナコさんが俺をどう思っているのか、気づいてなかったって言えば嘘になる。
彼女自身はあまり自覚していないようだけどね。」
やはり彼女の気持ちには薄々気づいていたようだ。
まぁこの場合、気づいていないのは本人だけのような気もするけれど。
「……だが『彼女を支えて欲しい』という君の言葉には『完全には』賛同しかねる。」
僕の心臓が一瞬ビクリと脈打った。
『完全には』とは、一体どこまでの事を言っているのだろう。
もしかして、僕の思惑に反してレンジィさんは彼女に好意を感じていたのだろうか。
「『友人として』なら出来る限り支えたいと思う。けれど俺のそれは恋愛感情じゃないんだ。
何たって彼女は俺の妹より四つも年下なんだから。……いや、今は俺の話はよそう。」
レンジィさんの言葉を聞いて、僕は胸を撫で下ろす。
やはりレンジィさんはナコちゃんに恋慕など抱いてはいなかったのだ。
そんな様子をよそに、レンジィさんは続ける。
「俺が今一番言いたいのはね、『君』の事だよ、碧君。」
僕は大きく眼を見開いた。僕が一体どうしたというのだろう。
安堵していた僕は、レンジィさんの眼に宿る鋭い光に気付かなかった。
「はっきり言おう。俺は今、凄く腹が立ってる。君が行動する前に諦めている事にだ。
守った誇りだけで満足だ、って言えば確かに耳障りは良いけどな、君は本当にそれで良いのか?
君は何も伝えなくていいのか? それだけ思っているって事を、彼女に知られないままで終わったっていいっていうのか?
君は俺よりずっと長く彼女を見て来たじゃないか! 何故諦める!?」
僕は言葉を失った。正直な話、僕についてここまで言われるとは思わなかった。
それと同時に、レンジィさんのあまりの人の良さに胸が詰まった。
愚かだと思った。そして、その愚かさは暖かさだとも思った。
だから、彼女は惹かれるのだ。――そう、改めて思い知らされた。
「……つまりな、そんな事を言うのはせめて自分がフラれてからにしろって事さ。
女心と秋の空とも言うだろう?心変わりが全くないとは言い切れないじゃないか。
ぽっと出の俺なんぞに遠慮してる暇があったら『彼女の心を自分に引き戻してやる!』ってぐらいの気概を持てよ、男だろ!」
気付かぬ間に目頭が熱くなっていた。無論、悲しいからじゃない。
どうして僕は、こんな純朴な人に偽っているのだろう。
思わず全てをぶちまけそうになるが、カスケードを警戒し出そうになった言葉を止める。
そうだ、これでいいのだ。
必死で頭の中を納得させ、唇の端に笑みを浮かべる。
「……それに、俺は。」
レンジィさんの声のトーンが低くなった。その瞳が憂いを帯びているのは、気のせいだろうか。
「俺は、勿論、彼女の気持ちは受け止めるつもりだ。だが彼女の希望には添えない可能性が高い。
君に対して気兼ねしてとか、そう言う理由じゃないぞ。俺のとても個人的な理由で、だ。
その時は彼女を少なからず傷つけてしまうだろう。そうなった時彼女を支えてやれるのは君だけだ。」
そこまで言い切った後、レンジィさんは改めて僕に向きなおった。
まっすぐな視線が、僕を射抜く。
「……それだけは、忘れないでほしい。」
最後にレンジィさんはぽつりと付け加えた。
僕の知りうる事ではないが、この人もきっと人には言えない傷を抱えているのだろう。
僕は睫毛を伏せ、小さく頷いた。
「……もし僕が彼女を想い続けている限り、レンジィさんは応援してくれますか?」
「勿論だ。」
レンジィさんがふっと笑った。それと同じくして、僕も表情を緩める。
――だがしかし。
僕は思わぬ人物と目が合った。
背筋に悪寒が走った。
なぜならば――そこに居たのは最もこの話を聞かせたくない人だったからだ。
「……ナコちゃん……何故……?」
思わず声が漏れる。出来ることなら、全ての時間を巻き戻してしまいたかった。
ナコちゃんは目を見開いたまま、ただ立ちつくしている。
レンジィさんも振り返り、彼女を確認して顔を青くした。
「な……なんでもない。なんでもないからっ!!」
それだけを言い残し、ナコちゃんはその場を立ち去ってしまった。
反射的に呼びとめようとするが、そこで止まる。
――彼女に何と言えばいい?全てを知ってしまったかもしれない彼女に。
僕の完全なる誤算だった。
言葉の見つからない僕は、自分の浅はかさに奥歯を噛みしめた。
To be continued...
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今回レンジィ=ア=イーオ様(176)をお借りしました!ありがとうございますっ!!
【Blanket of Night】参加中!
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>拍手くださった方へ
暖かいお言葉、ありがとうございます。
随分と励みになりました。
私は童話のように巧妙に書くにはまだまだですが、
応援して頂けるだけでもうちょっと頑張る気力になります。
まだまだいろいろ考えていますので、
どうぞ長い目で見てやってくださいませ。<(_ _)>